米政策改革の動向
米政策改革の動向 ■農林水産省■ 令和元年度 食料・農業・農村の動向 https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r1/r1_h/trend/part1/chap3/c3_4_00.html 主食用米の年間消費量が減少する中、平成30(2018)年産から行政による生産数量目標の配分を廃止し、産地・生産者が中心となって需要に応じた多様な米の生産・販売を行う米政策へと見直しを行いました。この米政策改革をしっかりと定着させるとともに、食料自給率(*1)・食料自給力(*2)向上等を図る観点から、水田をフル活用し、需要のある麦、大豆、米粉用米、飼料用米等への転換を進めることが重要です。これに加えて、伸び続ける海外需要に対応した輸出の拡大や、情報発信等を通じた新たなニーズの掘り起こしを進めています。*1、2 用語の解説3(1)を参照 (需要に応じた生産・販売を推進) 米(*1)の1人当たりの年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークとして、平成30(2018)年度は前年度に比べて0.3kg減少の53.8(*2)kgとなるなど、減少傾向が続いています。 このような中では、経営感覚あふれる農業者により、消費者ニーズにきめ細かく対応した米生産が行われるとともに、食料自給率・食料自給力の向上等を図る観点から、水田をフル活用し、需要のあ…
農地中間管理機構(農地バンク)とは
農地中間管理機構(農地バンク)とは ■農林水産省■ https://www.maff.go.jp/j/keiei/koukai/kikou/nouchibank.html 農地中間管理機構とは、都道府県、市町村、農業団体等が出資して組織されている法人であり、都道府県知事が県に一つに限って指定することで「農地中間管理機構」となります。 地域によっては「農地バンク」「機構」「公社」などと呼ばれています。 農地中間管理機構は、改正農業経営基盤強化促進法(令和5年4月施行)において法定化された「地域計画」に基づき、所有者不明農地、遊休農地も含め所有者等から借受け、担い手等へ貸付を行い、農地の集積・集約化を進めていきます。 農地中間管理機構リーフレット(PDF : 2,717KB) https://www.maff.go.jp/j/keiei/koukai/kikou/attach/pdf/nouchibank-134.pdf
農業をはじめる.JP
農業をはじめる.jp ■全国新規就農相談センター■ https://www.be-farmer.jp/ 「農業をはじめる.JP」では、職業として農業に興味を持たれた方、これから農業を始めたい方が、就農に向けて具体的なアクションを起こしていくために必要となる情報を一元的に閲覧できる、ポータルサイトです。 「農業をはじめる.JP」は、農林水産省の補助事業として、(一社)全国農業会議所が運営しています。
お米 スーパーでの販売数量・価格の推移
お米 スーパーでの販売数量・価格の推移(POSデータに基づき作成、全国・週次) ■農林水産省■ 令和7年9月8日の週 https://www.maff.go.jp/j/syouan/keikaku/soukatu/ksppos.pdf ○ 令和7年9月8日の週の平均価格は、前週の4,155円/5Kgから120円上昇し、4,275円/5Kg。(対前年同期+37.3%、前週比+2.9%。)○ 平均価格については、令和7年6月以降、随意契約による政府備蓄米の流通により低下。その後、8月以降は随意契約による政府備蓄米の販売減少や新米の出回りを背景に上昇傾向。○ 販売数量については、令和7年6月、7月は前年を上回る水準で推移。他方、直近では4週連続で減少。
6次産業化の取組事例集
6次産業化の取組事例集(令和3年3月) ■農林水産省■ https://www.maff.go.jp/j/nousin/inobe/6jika/torikumi.html 平成23年3月に「六次産業化・地産地消法」が施行され、法に基づく総合化事業計画の累計認定件数は順調に増加し、令和3年度末時点で約2,600件となっています。近年では、加工・直売の取組にとどまらず、経営の多角化を目指し、農家レストランや農業体験、輸出などへの取り組みも増えています。その中でも、コスト意識やマネジメント感覚を持ち、付加価値の高いビジネス経営を行っている優良事例を収集し、取りまとめました。 全体版(PDF : 7,631KB) https://www.maff.go.jp/j/nousin/inobe/6jika/attach/pdf/torikumi-21.pdf
果樹型トレーニングファームの全国調査及び全国プラットフォームの構築事業の公募 【採択】のお知らせ
公益財団法人 鯉淵学園はこの度、公益財団法人 中央果実協会殿の下記公募に応募、採択されました。 果樹型トレーニングファームの全国調査及び全国プラットフォームの構築事業の公募について https://www.japanfruit.jp/news/tabid101.html?itemid=715&dispmid=471 事業目的 (実施要領より)新たな果樹農業振興基本方針(令和7年4月30日、農林水産省)では、「担い手の育成・確保、労働力の確保」の施策推進目標として、「新規就農者を増やすため、高度な技術の習得や園地の確保、未収益期間の克服など果樹特有のハードルに対応して、技術研修と園地継承を併せて行う果樹型トレーニングファームの取組を推進する。」とされており、そのKPI(重要業績評価指標)として果樹型トレーニングファームの設置250産地(令和12年度)が定められている。 一方、(公財)中央果実協会では、調査研究等事業の一環として、令和5年度から果樹産地における後継者・担い手育成・確保の事例調査を実施してきている。この事例調査の結果、担い手育成・確保の取組は個別的かつ地域偏在的な特徴があることから、全国的視点に立った体系的な情報の収集・集約及び共有の仕組みの構築は、果樹型トレーニングファーム推進条件整備事業の推進と相まって、果樹型トレーニングファームのKPI達成に向けて、重要性が…
8.江戸の水系社会【第3章「農」が造った国土】
8.江戸の水系社会【第3章「農」が造った国土】 ■農林水産省■ 関東農政局 https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/08.html さて、江戸時代になって戦の混乱が収まると、それぞれの藩では本格的な国土造りが始まりました。城下町のほとんどは、江戸時代以降に造られた町です。川から水路を引き、城の堀や町の生活用水として利用、その後、周辺の農地を潤していました。水道もなかったのですから、土掘りの水路の水や井戸水を煮炊きの水や生活用水として使っていました。したがって、水に関する扱いは非常に慎重でした。トイレの糞尿は田畑へ戻し、生活汚水も水路へ流さず、地面に染み込ませていました。 ヨーロッパを悩ませてきた疫病も日本では幕末の外国船が入ってくるまではなかったようです。明治の頃、日本を訪れた外国人は、みな一様に都市の清潔さに驚いています。その頃東大教授であったモースという学者も、「アメリカで不完全な便所や排水に起因するとされている病気の種類は、日本には無いか、あっても非常に希であるらしい」と日本の水系社会を褒め称えています。 また、この頃になると、藩直営の何10kmにも及ぶ大規模な水路も生まれてきます。徳川幕府が造った葛西用水(延長約70km)、見沼代用水(約100km)は、それぞれ独立した用水ながら、自然河川や排水…
7.二次的自然の形成-琵琶湖40個分の湿地帯【第3章「農」が造った国土】
7.二次的自然の形成-琵琶湖40個分の湿地帯【第3章「農」が造った国土】 https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/07.html ところで、温度計もない昔、どうやって田植の時期を知ったと思いますか?田植は気温や水温と密接な関係があり、時期が1週間でもズレると収穫に差がでるらしい。春といっても、急に暖かくなったり、4月に大雪が降ったり。だから日付では決められないのです。 春先の平均気温は、山の残雪の形で分かったそうです。雪が消えかけて山の地肌が馬の形になった時、蝶の形になった時、仏様が表われた時・・・。だから、山の名も、白馬岳、蝶ヶ岳、常念岳・・・。 桜の花でその年の気候を予測したともいいます。花見の行事はそこからきているらしい。 雲や風で天気を読み、鳥の動きで異変を察知し、草の生え方で土の良し悪しを知る。何世代にもわたって農家に伝えられてきた自然を読む術(すべ)。これらは、現代の科学では計り知れないほど奥の深いものがあるはずです。 堤防の土手が崩れないように桜の木を、田の周辺にはモグラが穴をあけないように根を張る草を植えました。神社の森や屋敷林も落ち葉を肥料にできる樹木を植えました。 とりわけ、山の森と人々の暮らしとの関係は密なるものでした。日々の煮炊きに使う薪(たきぎ)は言うに及ばず、田畑の肥料も山の…
6.水争いと「農」の秩序【第3章「農」が造った国土】
6.水争いと「農」の秩序【第3章「農」が造った国土】 ■農林水産省■ 関東農政局 https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/06.html 水をめぐる争い ─── いわば集落全員の生死をかけた争いです。待っても待っても雨は降らず、太陽がジリジリと照りつけます。土にヒビが入って稲も枯れ始めます。どこかの集落が耐え切れず、夜中に上流の堰を壊しに行きました。村中が殺気立ちます。人々は手にカマやクワを持って集まり、戦国時代さながらに川を挟んでの乱闘が始まります。 九十九里平野の水争いは、江戸時代から昭和に至るまでに50数回記録されていますが、これは訴訟を伴うような大きな争いであり、小さな水ゲンカはいつも起こっていました。 明治27年、栗山川の水をめぐって両岸の農民2百数10名が、手に鍬、鋤、竹やり、日本刀、仕込杖に白装束にて激突、不幸にも2人の犠牲者を出しています。また、昭和8年の干ばつでは、ある農民が水利組合長を刀で切りつけたり、農民が大勢押しかけ村長宅から米を強奪したりというような話も残っています。 長野県の梓川も水量が少ないため、両岸(松本市や安曇野市など)では常に水争いが繰り返されてきました。特に江戸時代後半の水争いは激しく、江戸表での判決に及ぶこと数回、多数の犠牲者を出した記録を持っています。 大正13…
5.農地の宿命【第3章「農」が造った国土】
5.農地の宿命【第3章「農」が造った国土】 ■農林水産省■ 関東農政局 https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/05.html さて、以上のことを頭において、ある平野に水田を造るとしましょう。 水田の水の多くは川から引いてくるので、川の近くにいくつかの農地や集落ができます(図1)。水路を引く場合、川の流れを木の枠組みや石などでせき止め、そこから田んぼへつながる水路へ水を送ります(図2)。この仕組みを堰(せき)といいます。 最初、1の集落(水田)が川から水を引いてきました。そうすると2の集落は、1の堰の下流から引くことになります。川の水を引くのは、上流のほうが有利になるからです。さらに3の集落は2の堰の下から引くことになります。こうやって川の水の量に余裕がある限り、水路が引かれ、水田が造られてていきます。 このようにして、その平野は、川から引ける水の量のギリギリまで開発されることになります。ところが、川の水量は常に変動します。雨が降れば水かさは増すし、日照りが続けばだんだん減ってきます。 さて、ここで集中豪雨が来たとします。たちまち川は濁流となって、堤防いっぱいまで水かさが増します。このとき、堰が頑丈であればあるほど、洪水は水路のほうへ流れてきます。むしろ、流されてしまうくらいの粗末な構造のほ…























